所在地 | 石川県珠洲市正院町川尻 |
別称 | 黒滝城、正院城、稲荷山要害 |
立地 | 丘陵先端、標高33m |
遺構 | 曲輪、堀、虎口、櫓台 |
規模 | 440m X 230m |
城主 | 川尻長氏、長与市景連 |
時期 | 室町、戦国 |
駐車場 | 蛸島漁港・うじま公園駐車場を利用 |
訪城(登城口)のアクセス | |
城内の散策路 | |
遺構・縄張の残り具合 | |
遺構の地表状態 | |
城館からの眺望 | |
城館の見学時間(登城口から) | |
見学の服装 |
配布カード
- 正院川尻城 Ver.1.0
攻城月:2020年5月
踏査時間:約50分
城跡の西側から見た正院川尻城
一般的に城跡を見学するときは東から入る道を選択するのだが、今回は城の西から入ってみる。
住宅の間を通り左に畑を見ながらまっすぐ丘陵へ入っていく。
両側の切り立つ堀切のような道を上って行くと
折り返すように道が城内に続いている。
南に湾が迫り、入江が入り込んでいたため、城跡の南側は沼地だったとも考えられる。過去の発掘調査では大手は西側にあり、北側が搦手と推測している。
ここは虎口と言ってもいいものだろうか。
辿り着くと右手に植林地になっている第三郭、左に第五郭との間の空堀になる。堀は藪になっていてよくわからない。
城跡の東側は今でも畑地として利用されているが、西側は途中で放棄されたのか、準備はしたものの利用されなかったのか。
しばらく東へ歩くと第三郭のほうは開けたが、やはり藪が高い。
振り返ると空堀の形状がなんとなくわかる場所に来た。右(北)が第五郭、左(南)が第三郭になる。幅は12mほどあり、発掘調査で深さ5m以上の大きさだったことがわかっている。
ここが埋められていることが後年何かに利用するつもりだったのだと思う。
東へ藪を抜けると耕作地に出た。近年のこうした耕作で現状を留めていない場所もある。
耕作地の間の通路を少し南に歩くと観光用のルートに至り案内板がいくつか建っている。
右(北)に第四郭を見ながら西へ
先程北側を通った第三郭の南側を通り主郭へ
主郭は少し高くなっているが、やはり第三郭との間に5m以上の空堀があったと考えられる。
第三郭は北と東、そしてこの南に空堀を巡らせ、西は崖になる城内最大面積の曲輪になる。
かつてはこの主郭でも耕作されていたので木はなく、短い下草が生えているため広さは実感できる。
主郭は手前北側が少し高くなっている。
先端近い場所に標柱が建っている。
先端はさらに1段低い。現在は木で遮られているが、高要害とも呼ばれた主郭(第一郭)からは眼下に内浦街道と飯田湾が一望できたであろう。
主郭の西隅から第二郭に下りられそうだったので行ってみる。
現在の第二郭は深い藪になっている。主郭に対して下要害と呼ばれた場所の南麓に「ウチゴウ」(内濠)と呼ばれている場所がある。かつて麓近くまで入江が入り込んでいた時期があり、沼地に近い場所だったのかもしれない。
曲輪の縁を通り、虎口らしき道のある場所まで行ってみる。急だが確かに上れそうではある。さらに先に櫓台があるというが、先の藪は深いので断念する。
井戸跡のある搦手(城域の北側)のほうに行ってみる。かなり深い藪
あまりに深い藪なので地表は確認できなかったが、藪が凹んでいる場所がある。地図ではこの辺りに井戸跡が描かれているが、あまり近づくと落ちるかもしれないので引き返す。
第四郭のほうから耕作地を間を南へ出口を目指す。
途中に空堀の看板。右の藪が堀で第四郭の東側にあたる。
虎口という看板。現況が変わりすぎてよくわからない。
耕作地へ続く道として整備された道を下る。
分岐の右は丘陵沿いに西へ、左はそのまま南に行く。今回は右に
道は稲荷神社の社殿東に出てきた。
稲荷神社を正面にみると、社殿真後ろの少し左の若干凹んだ部分、まばらに木の枝が見えているあたりが主郭になる。
初めていく方はこの稲荷神社から行くとわかりやすいだろう。
内浦街道を挟んですぐ目の前に海が広がる。