所在地 | 石川県珠洲市宝立町春日野 |
立地 | 丘陵頂部、標高436m |
遺構 | 曲輪、土塁、堀、虎口 |
規模 | 230m X 130m |
城主 | 阿部判官義宗、由井浄定(上杉謙信家臣) |
時期 | 南北朝、戦国 |
駐車場 | 宝立山ポケットパークを利用 |
訪城(登城口)のアクセス | |
城内の散策路 | |
遺構・縄張の残り具合 | |
遺構の地表状態 | |
城館からの眺望 | |
城館の見学時間(登城口から) | |
見学の服装 |
配布カード
- 黒峰城 Ver.1.0
攻城月:2020年5月
踏査時間:約1時間30分
宝立山や黒峰城について調べたが行程がどうしてもわからなかった。とにかく宝立山ポケットパークを目指して行って、ポケットパークに駐車して歩いて探すことにした。
宝立山は珠洲最高峰で、宝嶺山、宝立山(丸山)、黒峰山の三峰からなり、ポケットパークの北側に宝立山が見える。
ポケットパークに来れば案内板でもあるかと期待していたが何もなかったので、舗装道路を上方に歩くことにした。
不安を抱えながら10分ほど歩くと「黒峰城跡 この先1.5km」の標柱がありひと安心。
そこからは歩きやすい黒峰往還の峠道を歩く。
途中片側が急傾斜になっている尾根筋の道を感じながら歩くこと8分
分岐で「黒峰城址へ」という案内を見つけて左に
更に4分ほど歩くと分岐と正面に丘陵が出てきた。すでに城域の北端に入っていて、左が黒峰往還の続き、右は法住寺道(柏原道)になる。
右に黒峰城主郭、左に崖という黒峰往還を進む。
3分ほどで上戸知ろう会の建てた「黒峰城跡 登り口」の標柱が建っている。
上戸は城の東麓にある集落になる。
標柱から城跡に登る。かなり急な登城道。
登ると広い曲輪に出た。
振り返ると、登城道を監視するように曲輪が突き出している。
その先から東方の飯田湾周辺が見えた。うっすらと見附島(軍艦島)も分かった。
曲輪の中程に平成28年に上戸知ろう会が建てた「黒峰城の址」碑が建っている。
曲輪や峠道は上戸知ろう会などが中心に下草が刈られていてとても散策や観察がしやすくなっていた。
北の高まりに向かう。
土塁の囲む主郭。県内最高所に築城された本城は長年放置されたままだったので保存状態も非常に良い。
この大きさの土塁が残っているとは想像していなかった。
主郭の西側に法住寺道が通っている。
法住寺道に下り、主郭西側を行くと
下の斜面に埋蔵文化財包蔵地の標柱が見え(傾き木に立て掛けられている状態)、周辺に畝状空堀群を見られる。藪なので写真では分かりづらいが実際見ると凹みがわかる。
七ツ塚と呼ばれ、落城時の死者を埋葬したとか、金品・武具を埋納した塚だと伝承されていたため、度々盗掘にあって現状が変わった部分もあるという。
法住寺道を戻り南に向かう。
法住寺道横の高まりから道を見下ろす。
城域の南端に向かう。
やや広い平坦地が突き出している。
法住寺道とは鋭角の切岸のようになっている。
さらに進もうと思ったが、先端付近で法住寺道は藪になった。ここまでは藪を切り払ってくれたようだ。
城域の散策を終え、元の登り口から東へ黒峰往還を歩いてみることにした。
歩いてきた北側の峠道に比べると、やや広い道になっているが、山頂に向かう道のため斜度は少し急になっている。
5分ほどで舗装された県道280号線と合流した。入口に2台くらいなら駐車できそうだった。
道路を西へ少し下ると黒峰城のある山頂が見えた。
黒峰往還を戻って宝立山ポケットパークまで帰ってきた。
ポケットパークの南に黒峰大橋が架かる。途中右にカーブするが、まっすぐ正面の山が黒峰城のある黒峰山になる。
現地ではどれか分からなかったが、後でわかった。やはり現地にもっと案内板が欲しい。