金沢城の現在

元日の能登半島地震により遠く離れた金沢城でも被害が発生しました。1月25日に訪城した時の写真を掲載します。

尚、石垣被害場所の詳細な報告が金沢城調査研究所によりまとめられています。2月8日現在、崩れが5箇所、変形(孕み増大、傾斜、落石)が22箇所となっている。
令和6年能登半島地震に伴う史跡金沢城跡の石垣被災について

金沢城

いもり堀沿いの本丸石垣。ここは明治以降に崩れ軍隊が積み直して辰巳櫓台は三段になっている。

金沢城

崩れたのは軍隊が積み直すときに階段を増設した場所の上部。目立つ場所でもあるので地震後のニュースでも真っ先に報道された場所です。

金沢城

兼六園側から石川門方角に被害は見られないが、土橋石垣は反対側が崩れていたらしい。

金沢城

現在入城できるのは通常開園部分では本丸と東の丸、玉泉院丸を除く部分。復元建造物の菱櫓、五十間長屋、河北門は入れる。

金沢城

鶴の丸休憩館までは行けるがその先には進めない。

金沢城

近づけないが東の丸附段にある国指定重要文化財の土蔵鶴丸倉庫も被害を受けている。壁面の石板が何カ所も崩落したということでその一部は遠目からでも見える。今回の地震では古い木造家屋の倒壊が多かったが、遠く離れた加賀地方でも土蔵の土壁が崩れたものが多かった。

金沢城

新丸から河北門への上り坂の東側の石垣の孕みが大きくなりかなり飛び出ている石が見られた。この場所は研究所の一覧には載っていない場所である。変わりがないのか見落とされているのかわからない。

金沢城

玉泉院丸南西部の石垣は崩れてシートが掛けられている。

金沢城

さらに玉泉院丸南側の石垣の一部も崩れ、直下に落石が散らばっている。

金沢城は来年度から二の丸御殿の第1期工事が始まる予定だったのだが、どうもそれどころではなくなってしまった。二の丸を支える石垣に被害は見られないため建設自体に問題はないであろうが、研究所の方々が石垣修復に手を取られるとするならば難しいのかもしれない。生きている間に二の丸御殿の完成を見届けられない可能性が高くなったというのは残念だけど。

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