所在地 | 石川県白山市月橋町 |
立地 | 丘陵頂部、標高225m |
遺構 | 曲輪、土塁、堀、虎口 |
規模 | 200m X 160m |
城主 | 槻橋氏、一向一揆 |
時期 | 室町、戦国 |
指定文化財 | 市指定史跡 |
駐車場 | なし。槻橋神社前に1、2台駐車できる |
訪城(登城口)のアクセス | |
城内の散策路 | |
遺構・縄張の残り具合 | |
遺構の地表状態 | |
城館からの眺望 | |
城館の見学時間(登城口から) | |
見学の服装 |
槻橋城案内(PDF)
[案内訂正履歴]
r2 「富樫」を「冨樫」に変更。
配布カード
- 槻橋城 Ver.1.1
攻城月:2020年3月
踏査時間:50分
西麓の月橋集落から見た槻橋城跡のある御蔵山。
登城口は集落内の槻橋神社の近くにある。
槻橋城跡登城口
最初から急登です。
一気に標高を上げていきます。
あっという間に集落が足下に見えるようになる。
槻橋城跡は地元の方々が登城道を整備されているので、登りやすかったです。
10分ほど登ると平坦になってきます。道の両側には穴がいくつもありますが規模がどれも大木の根元ほどしかなく、城郭施設ではなく、近代の炭焼き跡ではないかと言われています。
さらに進みます。道の両側に少し土盛りがあるところが城内の道という感じがします。
そして、右手に続く土塁に突き当たり、
正面に本丸、右手に山手の道、左手に下る道の分岐に出る。ここまで15分弱です。
山手の道を進みます。これが戦闘なら本丸から横矢の嵐ですね。
前に看板が見えてきて、右側に堀切が落ち込んでいる。
左手はかなり大きな堀切になっている。
白山市教育委員会の建てた案内板。
槻橋城については伝承が多く残っていないので、城主であった槻橋氏について語られることになるのですが、この槻橋氏が高尾城の戦いで富樫政親と殉死した一族の名前が、槻橋城を説明した様々な資料で違っているのがなかなかくせ者です。
今回原典のなっている官地論にあたり、もっとも正しいと思われるものを案内に載せました。
この案内板を含め、どれも一部が官地論とは違うのですがなぜでしょう。
案内板の後ろに大堀切があり、本丸の切岸が立ちはだかります。
本丸に登る。
土塁の上から本丸を臨む。本丸平坦部には杉の植林が等間隔にあり、状態はいいとは言えませんが広さは実感できます。
杉がかなり育ってきているので、20年ほど前までは鶴来街道や手取川下流の集落を見渡せたというのですが、今はほとんど見えない状態です。
本丸平坦部に下り、反対側から土塁を見る。
土塁の上から大堀切と道路を見下ろす。
直下の曲輪に行ってみる。
本丸虎口。写真では藪にしか見えないですね。
直下の曲輪
それ以上は下りれそうな角度ではなかったので、一度道に戻り下ることにする。
途中小規模な曲輪がいくつもある。
下りていくと竹藪が覆い被さるようになっていて、これ以上はちょっと無理かと
この右手の比較的広い曲輪内に井戸跡と思われる凹みがあるということなのだが、折れた竹が幾重にも覆い被さる状態で行く手を遮る。竹は刺さると危ないので諦めた。
来た道を戻り、50分ほどで登城口に到着した。