所在地 | 石川県河北郡津幡町清水 |
立地 | 丘陵頂部、標高15m |
遺構 | 櫓台 |
規模 | 230m X 160m |
城主 | 平維盛指揮下の平家軍、上杉謙信、前田秀継 |
時期 | 平安、戦国 |
指定文化財 | 町指定史跡 |
駐車場 | 津幡ふるさと歴史館「れきしる」駐車場20台以上 |
訪城(登城口)のアクセス | |
城内の散策路 | |
遺構・縄張の残り具合 | |
遺構の地表状態 | |
城館からの眺望 | |
城館の見学時間(登城口から) | |
見学の服装 |
津幡城案内(PDF)
[案内訂正履歴]
r2 櫓台からの写真1点入替え
配布カード
- 津幡城 Ver.1.0
攻城月:2020年2月
踏査時間:約3分
旧津幡宿の四つ角交差点から北へ
津幡ふるさと歴史館「れきしる」の案内看板が立つ坂を上る。
頂部はかなり広い平坦地で駐車場と運動場になっている。
南西隅の忠魂碑が建つ高台が津幡城の櫓台跡と言われる。
その前に津幡城趾の案内板が建っている。
高台に上ると「津幡城趾」石碑が建っている。久世嘉典津幡町長の書だと銘があり、昭和40年前後に建てられたものか。
高台の平坦地も忠魂碑建立のために削られている可能性はあるが、忠魂碑裏には自然に近いと思われる部分が残っている。
南方向の旧津幡宿、金沢城下町
東方向の倶利伽羅
西方向の河北平野、日本海
主郭だったと考えれる部分は2回の津幡小学校建設により大きく頂部が削られたので全く残っていない。
攻城月:2021年3月
津幡城からの遠望を見るために再訪する。
物見櫓から北方。津幡小学校建設のため削られた主郭部分。
東方。倶利伽羅方面
東南方。
東方。金沢方面
金沢市内の高層ビルが見える。戦国時代には金沢城が見えていたかもしれない。
西南方。
西方。
西北方。